October 02, 2023 at 09:36AM

When some ask me how I feel about other “Sashiko Teachers”, I often say [Teaching has become Entertainment]. It is extremely important to entertain the students to teach something – however, there is a huge difference between [teaching how to Entertain oneself with Sashiko] and [Teaching Sashiko as Entertainment]. Unfortunately, I feel a majority of teaching Sashiko in English is a form of Entertainment – otherwise, one cannot teach one type of Sashiko this month, and another type of Sashiko next month. That’s too much output in comparison to the input. The value in teaching now has become how deep the learning is – it is “how fun the teacher is”.

Don’t get me wrong. I spend more than 100% of my capacity to make my teaching fun, entertaining & encouraging. It is the teacher’s skill how they transform something “challenging” to custom to continue enjoying. I don’t teach often as I need to prepare – as I am sharing my life, identity, and whole value. I hope you mindfully choose whom to learn it from. Don’t make Sashiko as “just” a form of entertainment. It can be more.





[Teaching has become Entertainment] 上手に日本語訳ができない為、英語のまま書いたのですが、現代において「教える・学ぶ」という行為は、如何に「楽しませるもの・楽しむもの」に変化したかという思いの言葉です。練習。訓練。学びの中には時に「苦しくて大変なもの」が存在します。その大変なものを楽しく継続できるように教えることが、いい教師の基準の一つだと思っているのですが、中には「楽しさ」に標準を当てすぎるあまり、苦しいことや本質そのものを無視してしまう教え方もあるようです。教える側が忖度する(学ぶ側の機嫌を取る)のは流れの一つなのでしょうが、それでも薄っぺらい楽しさで満足して欲しくないなと思うのです。

「教える」という行為には責任が伴います。とはいえ、○○年の経験がないと教えてはいけないとかっていう数字で区切れるものではありません。留意する点は2点。(1) – 教えていることが理解できていること(教えられないことを明確にすること)& (2) 学びは終わりではなく始まりであること。「教えること」が「エンターテイメント」になってしまっている英語圏では、この2点を吹っ飛ばして、「今日、貴方もマスターに!」という宣伝文句で刺し子を教えている&出版している先生が数多く存在します。

模様刺し、一目刺し、こぎん刺し、菱刺し…。様々な刺し子が存在します。中には一つの分野をずっと続ける人もいるでしょう。情報が入りやすい現代では縦横無尽に様々な刺し子を楽しまれる方もいらっしゃいます(私は様々な刺し子をしている人に尊敬を念を抱いています)。何かに唯一の答えが存在しないところが刺し子の良いところであり、また本質です。この本質を押さえないままに教えられている刺し子が広まることが嫌なんでしょうね。刺し子は楽しくあるべきです。ただ、継続するからこそわかることもあるんです。

#Sashiko #刺し子 #日本人の刺し子


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