In interviews, I often receive the question: [What about Sashiko attracts you?]. In other words, it is a similar question I often ask here: [What do you like about Sashiko?]. There are many answers to this question – all of the answers each has are “Right” and “True” to them, yet I am still in search of the “Reasons” why I am into Sashiko this much.
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As technology makes our lives more convenient and logical, we may have forgotten some of the “ability” we (as human being) used to have. We live in a society where the answers are in numbers – we live in a programmed society. When A.I. gets bigger, the “Normal” will be under the numbers. I cannot live without IT, yet I would like to acknowledge the power we (at least our ancestors) had. The power isn’t something “fancy” – more like our grandma cooks without measurement cups. Driving without Navigation… I feel the Sashiko we practice is the way to reconnect as if I am resurfacing the old, rusted treasure. I respect not only “vintage result” but also the “vintage humanity (ability)” we used to have as the ordinary.
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刺し子のお話をする毎日の中で、沢山のご質問や取材の依頼を頂きます。頂く質問への私なりの答えを探すことが勉強となり、引き出しの中にお話ができるテーマが増えていくことになります。その中でずーっと私なりの答えが定まり切らない質問があります。それは、「刺し子の魅力とは?」という質問です。沢山ありすぎて答えられないのは事実なのですが、同時にまだしっくりとくる回答に出会えていないのも事実です。だからこそ、ふと思いついたことはメモを取り、文章化することで思いに落とし込んでい供養にしています。
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皆様にとっての刺し子の魅力とはなんでしょうか?正解や間違いがある質問ではなく、各々が向き合うことで完結する質問です。私にとっての刺し子の魅力とは…ふと、最近思っているのは、刺し子はもしかしたら「人間が(便利になるにつれ)失ってしまった能力を思い出させてくれる作業」なのかもしれないと。原始的な手作業であれば同じ効果は得られるかもしれません。私にとってその媒体が刺し子だったということで。「人間が失ってしまった能力」もまだ言語化はできていません。俗に言う第六感のことかもしれません。スピリチュアル的なことかもしれません。効率、生産性、そして数字が何よりも重要視される現代において「証明できないから必要ない」とされた能力のことかもしれません。刺し子をしていると、何か「繋がっている」感じがするんです。私にとっての「能力」は、この繋がりを感じることなのかもしれません。ま、意味を見出すこと(意味を付加すること)が人間的な行動だと笑って頂ければ幸いです。
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#Sashiko #刺し子
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