July 23, 2023 at 10:40AM

This is for my Japanese followers explaining what has been going on recently. Please DO NOT judge this post based on the Machine Translation. I will write the same story in several posts later on.





私達にはそれぞれ大切に思うものがあります。他人様からは大したことがないと思われても、個人の中ではかけがえのないものがあります。各々の価値観は違って然るべきですが、「個人の思う大切なもの」は尊重されるべきで、汚されても消費されていいものでもありません。私が長文を書き続ける理由は、その一点です。

少し極論になるかもですが、例え話として書きます。大切な方を亡くしたとします。お骨をお墓に入れ、故人への思いと共にお墓を綺麗に掃除し、またお花を供えます。そのお墓は広大な海が見える小高い山の上にポツンとありました。毎日お墓に通い、清め供養するのです。ある日、知らない人がそのお墓の前で記念撮影をしていました。満面の笑みでピースサインも使って。どうやら自分の言語は通じなさそうで、仕方なく勉強している言語で気持ちを伝えます。「ここは大切な場所だから」と。苦情でも怒りでもなく想いを伝えます。残念ながらその気持ちは伝わらず、その人は影響力がある人だったのでしょう、日毎にそのお墓に訪れる人が増えました。供養目的ではありません。写真を撮るという観光目的です。綺麗だから、写真に映えるからというだけの訪問です。そのお墓がある場所は市有地ではないので立ち入り禁止にはできません。仕方なく、「私にとってお墓とは何か。なぜここが大切な場所なのか。」を拙い言語で文章化します。多くの方は、その文章を読み、理解し気持ちを尊重し「供養もさせてください」と訪れてくれるようになりました。綺麗な場所には変わりないし、気持ちを汲んで頂けるならと喜んで受け入れています。供養の為にお花を持ってきて下さる方もいたり、お経を勉強して下さる方もいて、世界が広まったのも事実です。

しかしながら、中には「自由」を叫ぶ人もいます。公共の場所である以上、好きなことをしてもいいじゃないかと。中には「観光地としてのお墓」とツアーを組んでお金儲けをする人も出てきました。また「お墓と観光地」と言う本も出版されました。どれだけ綺麗なお墓でも、お墓本質は観光では決してありません。供養の本質は見栄えがいいことではありません。他の人の「お墓は文化に根付いたものだから」声も無視して「自由だから何をしてもいい」という流れが強くなり、だんだんと怒りを感じるようになります。そして、定期的に寄せられる「観光地でしょ?」という言葉に、「なぜお墓が観光地になることが苦しいのか、痛いのか」を説明します。怒りを抑えながら、それでも怒りはそこには存在します。

すると、今度はその「怒り」に対して苦情が入るのです。そんなに怒ることじゃないでしょと。お墓は綺麗なんだから、怒りは似合わないと。怒りよりも伝えるべきことがある(いかに綺麗か等)と。そして、最終的には「ポジティブ思考が大切だ」と。怒りの本質すら理解せず、怒ることすら許さないという傲慢さ。その傲慢は自身が気がついていない特権からくるものです。そもそもなぜ大切なお墓の本質を説明する為に、第二言語で説明をする必要があるのか。言語もその特権の一つです。

これまた極論ですが、「イジメ」に似ているのかもしれません。いじめる側といじめられる側。いじめる側が悪いのは当然として、私が今苦しんでいるのは、「一部の第三者の無関心&無知」です。(いじめる側が自覚していないイジメに対し)苦しくて痛くて、漸く勇気を出して怒りを見せたら、「そんなに怒んなくていいじゃん。楽しくやろうぜ。空気が悪くなるわ」と嘲笑まじりに痛みすら否定される。「ポジティブに考えないといじめっ子には伝わらないし、いじめは無くならないよ」と専門家気取りで助言してくる。

そんな馬鹿なと思われるかもしれませんが、このアカウントで起こっている事は上記の例話から大きくは外れません。悪意がないと勘違いしている悪意が一番キツイです。ただ、大きな世界では多数派の無神経な第三者(表面しか見ない人)も、このアカウントでは少数派なので、私は「物語を紡ぐこと」継続できています。個人が守るものを大切にする為には、第一に「広げないこと」が重要だったりします。知られなければ汚されません。ただ、「広がってしまったら」どうしたらいいのでしょうか?丁寧に説明を重ねることは重要です。諦めずに本質を続けることも重要です(お墓の例であれば供養を続けること)。ただ、「怒り」も大切な一手です。特権を持たない側にとっては「怒り」こそが縋るべきものなのかもしれません。「怒るな」という人は当事者ではありません。遠くて安全な場所から好き勝手言うだけ。でも、その当事者以外の第三者が影響力を持っていたら(英語ができる人だとしたら)…もう6年続けてきていますが、ようやく今年「怒っていいんだ」と自分と向き合えています。

#Sashiko #刺し子


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