When you read my Stories, please keep one thing in mind. I welcome anyone who is interested in Sashiko. I accept any “Changes” in Sashiko. I enjoy seeing many interpretation & modification & application of Sashiko into their own field of creativity. Some mislead my stories as I act like a “gatekeeper” of Traditional Sashiko – or even I deny all of the changes in Sashiko. I do NOT deny it. I even encourage them to “change” it.
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All the reason I speak up with caution to the world is about “How & Who makes the change”. The change itself isn’t a matter of good or bad. The “Tradition” without change & adaptation isn’t really Culture. Unfortunately, right now, “How & Who makes changes in Sashiko” are those who do not belong to either Japanese Culture or who do not stitch as much.
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The issue itself isn’t the lack of experience of belongings. It is the lack of acknowledgement, and misleading the majority in a form of trend to maximize their profit. It is a Change with ignoring the origin, and focusing on their profit. We may call it “Cherry Picking”… I find it disgusting when they intentionally change someone’s culture for their own comfort. Well… it is probably a history of humanity – but then, I am protecting Sashiko for “the majority” from “those”.
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時間が空いてしまいました。ん〜。なかなか調子が出ません。運針だけじゃなく、日々においてもリズムに乗れない。結果、できるだけ毎日更新しようと思っているインスタグラムも億劫になってしまっておりました。音楽で音程を合わせる為には、頭の中で考えていてもダメで、実際に楽器から音を出し続ける必要があるように、普段の生活の調子も合わせる為には動き続けるのが一番の近道なわけで。でも時に苦しくなってしまうのです。
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感情に矛盾が生じているのを認知しながら前に進んでいることは、良くないのかもしれません。端的に言うと、嫌だと思いながら辻褄を合わせる為に誤魔化しながら前に進んでいるのかもしれません。誤魔化しなしの気持ちは、「私は今の刺し子の流行が嫌だ」ということなのかもしれません。刺し子は針仕事なので、どのような変化をしても問題ないし、寧ろ変化をすることが大切だと思っています。ふきんも、パッチワークも、様々な刺し子のルールも、針目の大きさも、糸の太さも、運針の有無も…これまで嫌だと思うことは多くありませんでした。変化そのものは嫌じゃない。では何が嫌かというと、「変化を作る人の考え方、刺し子への向き合い方」が嫌なんだろうなと。極端に言えば、粋を感じない論理的で西洋的な変化を「日本人すら」、日本の日常の手仕事の刺し子に持ち込んでいるのが嫌なんだろうと思います。
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私が尊敬する刺し子の署先輩方も、試行錯誤を繰り返されています。でも、なかなかに声は広がらない。それは「刺し子の技術」と「声を広げること」は全く別物で、寧ろ反比例すらするかもしれないと思う程に「別人格」が必要に思います。私の中にも二人存在していて、だからこそ己の中の矛盾を感じているのかもしれません。
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#Sashiko #刺し子 #日本人の刺し子
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